プロメテウスの罠

弁当ガイギー

11.「原爆の子」を胸に

◇No.1181

慶応大学教授の村井純(59)は震災後間もなく、旧知のIT投資家、伊藤穣一(48)から連絡を受ける。

放射線測定ボランティアに協力してほしい、と。

村井は快諾した。

測定機器で様々なデータを集め、インターネットで共有する――。

これはまさに〈日本のインターネットの父〉と呼ばれる村井が、20年近く取り組んできたことだ。

個人的な理由もあった。

「線量のデータがひとり歩きすると、子どもたちの人生に烙印(らくいん)を押してしまう危険がある」

放射線測定ボランティア「セーフキャスト」の打ち合わせで、村井は、やや強い調子でクギを刺した。

2011年5月ごろのことだ。

完成したばかりの弁当箱のような線量計「bガイギー」を自動車に載せ、被災地の測定が始まっていた。

測定の中心だったピーテル・フランケン(47)たちは当初、子どもの安全を第一に考えたいと思っていた。

だがある小学校で、職員らが「やめて欲しい」と話しかけてきた。

周囲の放射線量もわからない中、学校のデータだけ公表されると、線量の高い所と思われてしまう、と。

その報告を受けて、村井は測定方針の変更を提案した。

村井の母方の祖父は、元広島文理科大学(現広島大学)学長の長田新(おさだあらた)。1951年に発行された広島の少年少女たちの原爆体験記『原爆の子』の編者だ。

長田は、自らも爆心地から1・6キロの自宅の軒先で無数のガラスを体に浴び、瀕死(ひんし)の重傷を負った。

晩年、幼い村井と風呂に入った長田は「ほら、まだ体から出てくる」とガラスの破片を見せたという。

村井の母も原爆投下の翌日、東京から長田を探しに広島に向かい、被爆した。

被爆2世の村井にとって『原爆の子』は生活の一部であり、原爆と一緒に生きてきた、との思いがある。

だから村井は、福島第一原発の事故が起きた時、真っ先に広島の原爆のことを思った。

「原爆の被害だけでなく、ピカの毒がうつるとか、結婚が破談になるとか、広島出身というだけで差別されるという歴史があった。それを繰り返してはいけない」

フランケンたちは、学校中心の測定方針を白紙に戻すことにした。

次の問題は、集まり始めた膨大な線量データの見せ方だった。(平和博)


12. もっとシンプルに

◇No.1182

震災から間もなく3カ月になろうとしていた2011年6月3日。

伊藤穣一(48)、ピーテル・フランケン(47)ら10人ほどの「セーフキャスト」メンバーが、米ケンブリッジにあるマサチューセッツ工科大学メディアラボに集まる。

メンバーが実際に顔をそろえるのは、4月の東京・恵比寿での初顔合わせ以来だった。

打ち合わせの場所が、メディアラボになったのには理由がある。

恵比寿での会合から間もない4月25日、伊藤が4代目のメディアラボ所長に就任すると発表されたのだ。

メディアラボは電子書籍端末で使われる「電子ペーパー」など、先端技術を生み出してきた研究拠点だ。

「メディアラボの知識やアイデアをセーフキャストに生かせれば」

伊藤はそう考えていた。

フランケンたちは弁当箱のような線量計「bガイギー」を使い、被災地の線量測定を続け、データは11万地点を超えていた。

問題はそれをどう見せるかだ。

震災から1週間あまりで立ち上がったサイトは、測定地点に目印を立て、クリックすると、線量データが見られる仕組みだった。

だが、データが11万件の規模になると、それでは見づらい。

「bガイギー」のデータは、測定走行をするごとに、線量の高さに応じて「緑」「黄」「赤」などと色を変える表示方法で公開していた。

ネットへのハードルが高い被災地の人々にはわかりにくかった。

米マイクロソフトのソフトウェア開発責任者として、数々のサービスを手がけてきたレイ・オジー(59)はこう注文をつけ続けた。

「シンプルに。もっとシンプルに」

出てきたアイデアが、「地図の尺度に応じた」デザインだった。

日本地図全体を見る時には、地域ごとの大まかな線量の違いを表示。

福島市やいわき市といった個別の地域を見る時には、きめ細かい網目で表示できるような仕組みだ。

それなら、県内、県外、そして国外からでも、欲しい放射線データにすぐにアクセスできるはずだ――。

そんな「セーフキャストマップ」が公開されたのは20日後、6月23日のことだった。

次第に「セーフキャスト」には被災地のボランティアからのデータも集まるようになっていった。

(平和博)

13. 原発に近いのに低い

◇No.1183

普通車の半分ほどのサイズ、2人乗りの白い小型軽自動車。

ブレット・ウォーターマン(50)はこの車で、ニュータウンや市街地の網の目のような通りを一筆書きのようにたどる。

福島県に暮らす「セーフキャスト」のボランティアだ。

助手席側の窓に、弁当箱サイズの線量計「bガイギー」(弁当ガイギー)を取り付け、5秒おきに放射線量を記録していく。

きょうはここ、と決めたら、地図を頭にたたき込み、走り漏れやダブリがないよう、1時間から2時間、ひたすらハンドルを握る。

オーストラリア人。小学生を中心とした英語教室を運営してきた。

震災後、募金サイト「キックスターター」で、「セーフキャスト」が被災地に線量計を配るための資金集めをしていることを知り、メールを送った。2011年4月末ごろだった。

「私たちは福島第一原発から46・2キロの福島県いわき市に住んでいます。息子は中学校が始まったところですが、学校で屋外活動をさせることについては意見が割れています」

「心配です。募金以外にも協力できることがあればお手伝いします」

住み続けていいのかどうか、判断がつかない。近所で引っ越す人も現れた。

6月。「セーフキャスト」のピーテル・フランケン(47)とジョー・モロス(55)がやってきた。

「bガイギー」を持っている。製作が進み、被災地のボランティアに使ってもらえるようになっていた。

さっそく自宅の周りを測る。

毎時約0・2マイクロシーベルト。

米線量計メーカーに勤めた経験がある千葉在住のモロスが言う。

「千葉のホットスポットの方が、むしろ高いぐらいだ」

原発に近いのに、低い。

予想外の結果で、あっけにとられた。

ウォーターマンは以来、「bガイギー」で線量を測定するようになる。

自分で測定し、具体的な数字を目にする。そうしていくうちに、徐々に安心できるようにもなった。

「継続的なデータの蓄積は将来の役に立つはずだ」

そう思って測定を続けている。

測るだけではない。「セーフキャスト」の活動が広がるにつれ、被災地には別の動きも出てくるようになる。(平和博)

 

14. 福島で作る線量計

◇No.1184

独自開発した線量計「b(弁当)ガイギー」を自動車に載せて放射線を測る――。

震災後、IT専門家のボランティアが集まってつくった「セーフキャスト」による測定は、2011年8月までに46万地点に上っていた。

さらに〈日本のインターネットの父〉慶大教授の村井純(59)の仲立ちで、測定場所は全国に広がる。

ボランティアのひとり、DIY(自作)工房「東京ハッカースペース」のクリストファー・ワン(41)が開発した固定型線量計が、全国約300のソフトバンクショップに配備されることになったのだ。

測定結果は当時、「ヤフー」で公開された。

そんな大々的に展開していく先行例をネットで追いながら、被災地・福島から、自分たちの手で線量計を作ろうとしている人たちもいた。

郡山市でハードウェア開発会社を経営する宗像忠夫(むなかたただお)(60)と、知り合いの高校教師、渡辺紀夫(わたなべのりお)(52)だ。

線量計が最も必要なのは福島の人たちだった。宗像たちは、手に入る部品で線量計の試作を重ねていた。

8月7日。日曜日を利用して、宗像は計画的避難区域とされた飯舘村まで、試作機の測定に出かけた。

その帰り道、葛尾村の国道交差点で、「セーフキャスト」と書かれた真っ赤なワゴン車と、外国人の一団を目にした。

こんな所で出会うとは。

「ピーター」。宗像は車から飛び出すと、ネットで見覚えのあったピーテル・フランケン(47)に声をかけた。

フランケンたちは線量測定を兼ねて、米公共放送PBSの撮影チームの取材に同行していた。

一行はそのまま田村市内のファミリーレストランへ。

互いの取り組みを話すうち、宗像は、自分もボランティアとして、測定に協力することを約束した。

一方で宗像は、渡辺と取り組む、「福島人の手による線量計」の開発も進めていく。

11月には地元の製作所に委託した「ガイガーFUKUSHIMA」の発売にこぎつける。

一般向けを目指し、iPhone(アイフォーン)につなぐタイプが税込み9800円、一体型1万8800円。製作に1台1千ドル(約11万円)かかるbガイギーより格段に安い。

これまでに約6千台を出荷した。

自前の線量計作製に続き、教師である渡辺は、学校の現場でも放射能と向き合っていく。 (平和博)

 

15. 高校で教える放射能

◇No.1185

渡辺紀夫(52)は、福島県郡山市内の高校で情報処理の授業を担当している。

2013年からは、3年生の実習の教材として、原子力規制委員会がホームページで公開している「放射線モニタリング情報」のデータを使い始めた。

データを公開している市内の測定地点は394カ所。生徒の自宅に近い線量データを、震災の年からすべてダウンロードさせる。

各地点のデータは10分間隔で測定されていて、3年分だと15万件を超す。それらをグラフ化し、線量の変化を生徒に分析させる。

放射性物質の半減期、除染による効果、雪が降った時に放射線を遮る効果――。

情報処理の技能習得と併せて、生徒たちにとって切実なデータを、目に見える形で示す。

「放射線のデータを理解し、自分で考える能力を身につけて欲しい」

渡辺はそう考えている。

原発事故から間もなく、渡辺は知人のハードウェア開発会社社長、宗像忠夫(60)とともに、福島製の線量計「ガイガーFUKUSHIMA」の開発に取り組んだ。

11年9月、報道機関向けの資料に、渡辺はその思いを書いた。

「放射能という見えない敵に打ち勝つためには、県民すべてが正しい知識を身に付け、自分の判断で、決断・行動できるリテラシーを身につけなければ、この福島には住めません」

渡辺は「セーフキャスト」のボランティアとして、弁当箱大の線量計「bガイギー」を車に取り付け、周辺の測定にも取り組んでいる。

学校行事の会場に使う公園などは事前に測って安全を確認する。

13年11月、修学旅行で訪れた米ロサンゼルスの見学コースも、「bガイギー」の小型版「bガイギーナノ」を持ち込んで線量測定し、保護者に情報提供した。

「福島で放射能教育をするということは、県外で授業をするのとは、わけが違う。被害者が、目の前にいる生徒本人なのだから」

生徒たちの将来に対する不安は身にしみて感じている。だからこそ、客観的なデータにこだわる。

「データとして見れば判断できる」

それが、渡辺がボランティアを続けている理由でもある。

「セーフキャスト」の線量測定に携わるのはボランティアばかりではない。郵便局も、一役買っていた。

(平和博)