◇No.1176
「完成品でもセンサーだけでも構わない。正確な線量計が欲しい」
福島第一原発事故後の放射線量のデータを集めたいと思っていたIT投資家の伊藤穣一(48)は、こんな切羽詰まったメールを送った。
2011年3月24日。震災から間もなく2週間が経とうとしていた。
送り先の一つがダン・サイス(65)。米カリフォルニア州の線量計メーカー「インターナショナル・メッドコム」社長だった。
伊藤は、原発事故の直後、知人からサイスを紹介された。
1979年の米スリーマイル島原発事故の後、地元の住民グループは、周囲に独自の放射線量測定システムを備えた。
サイスはその構築を手がけた、筋金入りの専門家だった。
冷戦下の核の脅威、原発事故対策、最近ではテロ対策。そもそも線量計は需要の限られた商品だった。
だが震災後、サイスの会社には引き合いが殺到。電話のパンク状態が続いていた。
サイスからはすぐに返信が来た。
ただ、肝心の線量計の在庫は、サイスの手元にも数えるほどしかなかった。
それに部品メーカーには日本企業も含まれ、調達の見通しは全く立っていなかった。
翌週の4月1日。今度は旧知の起業家、レイ・オジー(59)から伊藤のもとにメールが届く。
「何か力になれないだろうか」
オジーは、1980年代から活躍するソフトウェアの専門家だ。
米マイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツは「世界で五指に入るプログラマー」と呼んだ。
そのゲイツが2006年、一線からの引退を表明した時、後継者としてソフトウェア開発の最高責任者を任せたのがオジーだった。
同社をクラウド時代の企業として生まれ変わらせたオジーは、10年末で退社していた。
そして震災後、人づてに伊藤たちの取り組みを知る。
オジーが開発した情報共有のためのソフト「グルーブ」は、04年のスマトラ島沖地震や翌年のハリケーン・カトリーナなどの、米軍による災害救援活動でも活用されてきた。
その経験を、日本の震災復興に生かせないか、と考えた。
10分もたたずに、伊藤はオジーに返信した。「ぜひ参加して欲しい」
人は集まり始めた。次に必要なのは、資金だった。(平和博)
◇No.1177
オランダ人エンジニアのピーテル・フランケン(47)は、東京・秋葉原の電気街にいた。
2011年4月4日。
震災直後は休業店舗もあった秋葉原に、にぎわいが戻りつつあった。
「線量計がないなら、手に入る部品で、自分で作れないか」
そう思っていた矢先、電子部品の専門店で偶然、放射線を感知する線量計の心臓部「ガイガーミュラー管(GM管)」を見つけた。
原発事故で、線量計ばかりか、GM管も品切れ状態が続いていた。
店頭のGM管の現物に、フランケンは目を疑った。単3電池より少し細長いガラス管だった。
ロシア製で1本5千円ほど。迷わず5本を買った。
フランケンは8歳から真空管ラジオなどを作ってきた電子工作マニアだ。自宅を作業場に、早速、試作機の製作に取りかかった。
表示用端末として目をつけたのはiPhone(アイフォーン)だ。
線量計のデータを読み取るアプリもあったし、手軽に持ち運べる。
iPhone専用の保護ケースを改造し、背面にGM管を載せた回路基板を取り付ける。
4月13日、試作機が完成。フランケンは「iガイギー」と名づけた。
だが、妙なことに気付く。
5本のGM管の測定データを比べると、数値がまちまちなのだ。
GM管をよく見ると「1991年12月」の表示がある。20年前の代物だったようだ。
「iガイギー」が実際に測定で使われることはなかった。
このころ、友人のIT投資家、伊藤穣一(48)らを中心に動き始めた放射線測定のプロジェクト「RDTN」は、資金集めに乗り出した。
使ったのはネットの募金サイト「キックスターター」。
呼びかけ人が活動の内容を説明し、共感してくれた利用者から資金を募るサービスだ。
線量計600台を確保し、被災地のボランティアに測定をしてもらう。そのための目標額を3万3千ドル(当時、約270万円)とした。
4月8日に始めた募金の呼びかけ期間は1カ月。目標額に達しなければ、一銭も手にできない仕組みだ。
1カ月後、606人から目標額を超える3万6900ドルが集まる。ネット募金は成功だった。
そして、ネットだけでつながっていたメンバーは、東京で初顔合わせをすることになる。(平和博)
◇No.1178
放射線測定プロジェクト「RDTN」をネット上で進めてきたメンバーが、初めて顔を合わせた。
2011年4月16日。
場所は東京・恵比寿。伊藤穣一(48)が共同創業したベンチャー企業「デジタルガレージ」の本社だ。
同社主催の毎年恒例のITイベント「ニュー・コンテクスト・カンファレンス」の会場だった。
すでにネットでつながるメンバーは20人近くに膨れあがっていた。
プロジェクトを進めるためには、実際の顔合わせが必要、と伊藤が声をかけ、米国やシンガポールなど、各地から集まった。
聴衆は200人を超えた。IT起業家らの登壇者にまじり、プロジェクトのお披露目を兼ねてメンバーたちもパネリストとして参加した。
オランダ人エンジニア、ピーテル・フランケン(47)は「初めて見る人たちも多いな」と思った。
伊藤をホスト役にイベントは朝9時半から始まった。
〈日本のインターネットの父〉慶応大学教授、村井純(59)や、米マイクロソフトでビル・ゲイツの後継者としてソフト開発責任者を務めたレイ・オジー(59)、米スリーマイル島原発事故後、周辺の放射線測定ネットワークを作ったダン・サイス(65)らも、壇上に顔をそろえた。
ネットビジネスを手がけてきた伊藤は、村井とは旧知の間柄。フランケンも、村井が創設したネットの専門家グループ「WIDEプロジェクト」のメンバーだった。
イベントで村井は、01年度にタクシー1600台を使って行った天候や渋滞の測定実験などについて説明。「データを取ることで、色んなことがわかってくる」と述べた。
「人々が集めた線量データを、ネットでガラス張りにできれば、極めて有益なものになるだろう」
村井と並んで登壇したオジーは、放射線測定のプロジェクトについて、そう説明した。
イベントが始まって2時間が過ぎようとしたころ、突然、強い揺れが会場を襲った。
携帯電話に着信した緊急地震速報の警報音とともに、ビルのエレベーター停止を告げる館内アナウンス。
茨城県南部を震源とするマグニチュード5・9、最大震度5強、会場周辺は震度3の地震だった。
呆然(ぼうぜん)とするオジーら米国勢のメンバーを前に、伊藤が軽口をたたく。
「僕たちの世界にようこそ」(平和博)
◇No.1179
放射線測定プロジェクトの初顔合わせも兼ねたイベント「ニュー・コンテクスト・カンファレンス」の翌日、2011年4月17日。
IT投資家、伊藤穣一(48)が共同創業した東京・恵比寿のネットベンチャー「デジタルガレージ」9階の中会議室に、朝から15人ほどのメンバーが集まった。
北側の窓からは、代官山の36階建ての高層ビルが見える。
当面の問題は、線量計の数が足りないことだった。
この時までに入手できたのは、米メーカー「インターナショナル・メッドコム」社長、ダン・サイス(65)の手元にあった8台ほど。
とても被災地をカバーできない。
「自動車を使ったらどうだ」
米マイクロソフトのソフト開発責任者だったレイ・オジー(59)が、そんなアイデアを持ち出した。
念頭にあったのはグーグルのサービス「ストリートビュー」だ。
特殊なカメラを積んだ撮影車を世界中で走らせ、地図上に実写の360度パノラマ画像を公開している。
「グーグルにできるなら、我々もできるだろう」
線量計を自動車に載せ、位置情報とともに線量を記録していく――。
それが可能なら、1台の線量計でも多くの場所を測ることができる。
この日は、慶応大学教授の村井純(59)の代理で、准教授の植原啓介(うえはらけいすけ)(44)が出席していた。
植原は、タクシーを使って天候や渋滞のデータを収集する実証実験を担当した専門家だ。だが、線量計を載せたことはない。
「正確なデータが取れるかどうか」
新しい機器の開発も必要だ。
ただ、オランダ人エンジニアのピーテル・フランケン(47)が、iPhone(アイフォーン)を使った線量計「iガイギー」の試作にこぎつけ、態勢はできつつあった。
開発は1週間、と期限を決めた。
この日、東京電力は原発事故収束までの工程表を発表。原子炉を安全な状態で停止するのに6~9カ月かかるとした。
事故は、まだ進行中だった。
グループ名も、これを機に変えることにした。
「安全を発信する、という意味の『セーフキャスト』はどうだろう」
オジーのアイデアに、メンバーから異論はなかった。
翌日から早速、取りかかった。作業場はDIY(自作)工房「東京ハッカースペース」だった。
(平和博)
◇No.1180
「これが弁当ガイギー、bガイギー1号機の完成です」
オランダ人エンジニア、ピーテル・フランケン(47)がそう宣言したのは2011年4月23日の夜だった。
線量計を自動車に載せて測定する――米マイクロソフトでソフト開発責任者を務めたレイ・オジー(59)が、初めての打ち合わせでアイデアを出してから、ちょうど1週間。
当初の完成目標通りだった。
携帯用線量計と全地球測位システム(GPS)などの部品が、プラスチックの防護ケースに収まっている。
弁当箱のような見た目から、フランケンがその名前をつけた。
作業場は、東京・白金台の古い2階建て民家。「東京ハッカースペース」と書き付けた、小さな黒板が看板代わりだ。
窓には障子、間仕切りはふすま。じゅうたん敷きの床に置かれた作業テーブルやスチール製の棚には、パソコンや回路基板、測定機器……。
ジュッという音とともに、ハンダがけむり、かび臭い室内に漂う。
「ハッカースペース」は会員制のデジタルDIY(自作)工房で、ソフトウェアやハードウェアを開発する外国人技術者らが集う場所だ。
共同創設者の一人が、クリストファー・ワン(41)。
〈アキバ〉の愛称で知られる米国人エンジニアだ。測定機器のネットワークに関する専門家でもある。
震災直後、米オハイオ州の機材業者から、塗装もはげた年代物の線量計を手に入れた。
アナログ線量計の測定結果をネットで公開。ネット接続できる自作の線量計の開発にも取り組んでいた。
そこにロサンゼルスで「ハッカースペース」を運営する起業家、ショーン・ボナー(39)から連絡が入る。
IT投資家の伊藤穣一(48)やフランケンらと線量測定プロジェクトを立ち上げたという。
「手伝ってくれないか」
この時から、白金台の工房がプロジェクトの作業場になった。
完成したばかりの「bガイギー」は、早速、真っ赤なワゴン車の窓に取り付けられ、夜のレインボーブリッジを試験走行した。
翌24日、日曜日。 フランケンたちは初めての被災地測定のため、白金台から福島県郡山市に向かった。
測定の中心は学校と決めていた。子どもたちの安全を第一に考えたかった。
だが、その考えが揺らぐ出来事があった。(平和博)