◇No.1171
東北自動車道郡山インターを出た真っ赤なワゴンが、20台ほどがとまれる右わきの駐車場に滑り込んだ。
2011年4月24日。東日本大震災からまだ間もない日曜日の午後。
渡邉利一(わたなべとしかつ)(63)は、待ち合わせ場所に紺のワゴンで先に着いていた。
赤いワゴンから4人の男たちが降り立つ。
その1人、カールした栗色の髪に丸メガネ、黒いタートルネック姿の外国人が、独特のイントネーションの日本語で話しかける。
「ピーテル・フランケンと言います」
フランケン(47)たちは、ボランティアグループ「セーフキャスト」のメンバーだ。
福島第一原発事故後の放射線量を自分たちで測定して回り、インターネットで世界中に公開しようとしていた。
渡邉は地元で広告会社「アイ・エム・ディ」を経営する。この日の測定の案内役を引き受けた。
フランケンたちの車の窓には、単行本サイズのプラスチックケースが取り付けてある。
「弁当箱のようなガイガーカウンターなので『b(弁当)ガイギー』と呼んでます」
「bガイギー」は、フランケンたちが独自開発した線量計だ。
中には米国製の携帯用線量計と全地球測位システム(GPS)などが詰め込まれている。
自動車の走行中、「bガイギー」は5秒おきに線量データと位置データを記録していく仕組みだ。
午前10時すぎに東京を出発してからこの時までに、1700地点ほどの線量データが集まっていた。
世界的に品不足になっていた線量計で広い範囲の線量データを測る。
「bガイギー」はそのために急きょ考え出した解決策だった。
フランケンたちが拠点にしていたのが東京・白金台の「東京ハッカースペース」というDIY(自作)工房だ。
渡邉はその名前にひっかかった。
「あのネットに侵入するハッカーか? 何だ、大丈夫か」
福島から、南極を含む60以上の国と地域へ。「セーフキャスト」が測定、公開している線量データは今、2500万地点を超す。
(平和博)
◇放射線測定に挑んだハッカー(IT専門家)たちの奮闘をたどります。
(セーフキャスト http://safecast.org/ja/)
◇No.1172
「きょうは学校の線量を測りたいと思ってます」
2011年4月24日の午後2時前。待ち合わせ場所の東北自動車道郡山インター出口の駐車場。
放射線測定ボランティア「セーフキャスト」のピーテル・フランケン(47)たちは、案内役の広告会社社長、渡邉利一(63)にこの日の予定を説明した。
フランケンたちの真っ赤なワゴンの窓には、弁当箱のようなプラスチックケースに収まった線量計「b(弁当)ガイギー」が取り付けてある。
「bガイギー」は5秒ごとに線量データと全地球測位システム(GPS)の位置情報を記録し続ける。
東京タワー周辺で毎時0・13マイクロシーベルトだった線量は、東北道を北上していくと那須高原サービスエリアで0・45マイクロシーベルトを示した。
フランケンたちは東京・白金台のDIY工房「東京ハッカースペース」を拠点に1週間、突貫作業で「bガイギー」開発に取り組んだ。
ようやく完成したのは前日の夜。この日は、被災地での初の測定走行だった。
渡邉が紺のワゴンで先導し、一行は駐車場から郡山の市街地へと抜けていく。
日曜日とはいえ、放射線量を気にしてか、出歩く人影もまばらだ。
少し雨も降り出した。
最初の小学校の正門前に着くと、車から降りたフランケンが、細かい場所を測るために持ってきた携帯用の線量計を取り出す。
「bガイギー」にも使われている米国製の高性能線量計だ。
地上1メートルの空間線量は毎時1・3マイクロシーベルト。東京タワー周辺の10倍の高さだった。
その後も、小学校や幼稚園を測っていくと、線量は最も高いところでは2マイクロシーベルトを示した。
「県のデータより高い。少なくとも低くはねえぞ」
道すがら、渡邉はそう思っていた。
日も傾いてきた午後5時半すぎ。フランケンたちは、郡山を後にする。
この日、「bガイギー」が測定したのは計4587地点にのぼった。
データは2週間後、グーグルマップ上にまとめて、「セーフキャスト」のホームページで公開した。
地元の渡邉にとって初めて見る身近な線量データだった。そしてそれは特別な意味があった。(平和博)
◇No.1173
福島県郡山市内の広告会社社長、渡邉利一(63)は震災後、東京にいる友人の英国人翻訳家に「手伝えることはないか」と聞かれ、「線量計が欲しいんだ」と伝えていた。
市内にある県の合同庁舎で測定した線量データは、公開されていた。
だが実際はずっと高い、という書き込みをツイッターでたびたび目にした。身近な線量が知りたかった。
「だったら知り合いが持っている」と紹介されたのが、線量測定ボランティア「セーフキャスト」のピーテル・フランケン(47)だった。
渡邉が経営する会社は、震災以来、開店休業のような状態だった。
震度6弱の揺れで、会社の中は壁が傾き、入り口のドアも開かない。5人の社員は1週間の自宅待機に。
業務を再開しても、震災後の自粛ムードの中で、テレビCMなど広告の仕事はぱたりとやんだ。
自宅の電気は通じたが、水道が止まった。ポリタンクを持ち、給水車を待って何時間も並んだ。
「どうなってんの、放射能」
知り合いの市の幹部がいたので、聞いてみた。地震に続く、福島第一原発の爆発事故が気になっていた。
「オレは情報ないからわからん」
この時も原発の放射性物質が降っていたのだろう、と今にして思う。
2011年4月24日午後。震災から1カ月半が過ぎた。
だが、市内の大型イベントホール「ビッグパレットふくしま」には、原発に近く、全町、全村避難となった富岡町、川内村の住民ら約1500人がなお身を寄せていた。
フランケンたちの測定で、渡邉は身近な線量データを初めて目にした。その数字の高さに驚きはしたが、安堵(あんど)感もあった。
「見えないから怖い。高いのは高いけれど、でもこのぐらいなんだ」
引きあげる時、フランケンは渡邉に1台の携帯用線量計を手渡した。
「これで色々測ってください」
渡邉はこの線量計で自宅はもちろん、社員やご近所にも渡して、周囲を測ってもらった。
「自分の身の回りがどうなのか、それがわかることが重要なんだ」
以来、毎朝10時、会社の前で測った線量計の数字を、携帯電話で写して、フランケンに送り続けた。
渡邉は「セーフキャスト」の福島県内のボランティア第1号になった。
この「セーフキャスト」が立ち上がるきっかけは、原発事故直後にフランケンが目にした、1本のツイッター投稿だった。(平和博)
◇No.1174
「誰かドバイで携帯型の線量計を手に入れられる所を知らないか?」
震災発生から5日目の2011年3月15日午前10時半。
ピーテル・フランケン(47)が、都内の自宅でノートパソコンを見ていると、友人の伊藤穣一(いとうじょういち)(48)がツイッターにこんな投稿をしていた。
伊藤は世界を飛び回るIT投資家。中東ドバイにいるようだった。
この時、福島第一原発では危機的状況が続いていた。
すでに1号機、3号機で爆発があり、この日朝には、2号機、4号機周辺でも爆発音や火災が相次ぎ、付近の放射線量は急上昇していた。
30分後、伊藤にメールを送った。
「ツイートをみたよ。線量計はすごい人気で売り切れか入荷待ちだ」
フランケンも、線量計を扱う国内外の業者を必死に探していた。
オランダ人エンジニアのフランケンはこの時、11年勤めた新生銀行を退職したばかりだった。
所属していたITチームは、銀行の基幹システムのコストを10分の1に圧縮し、業界の注目を集めた。
そのプロジェクトも一段落し、退職後は休養をとるつもりだった。
自宅は原発からは200キロ以上離れているが、8歳の長女もいる。
放射線量の情報を知るために、線量計が欲しかった。
一方の伊藤が震災を知ったのは、14時間の時差がある米マサチューセッツ州ケンブリッジの朝だった。
訪問先はマサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ。
世界最先端のデジタル研究拠点の所長候補に、IT業界で国際的に知られる伊藤の名前が挙がっていた。
伊藤は、教授らによる2日がかりの選考面接を受けていた。
その朝、伊藤は約10万人のフォロワー(読者)を持つツイッターにこう投稿した。
「妻からメールが来た。揺れはあったが無事」
妻は千葉県内の自宅にいた。
震災のニュースに、メディアラボも騒然となっていた。朝9時から30分刻みの面接を繰り返し、終わると夜の9時に。
一睡もせずに、ネット中継される官邸、東電の記者会見の模様をチェックしていて、原発事故を知る。
自宅の妻が気になる。
米国からドバイに降り立った伊藤も、線量計が欲しかった。
そんな時、思わぬ所で「放射線地図」が立ち上がったのを目にする。 (平和博)
◇No.1175
IT投資家の伊藤穣一(48)は、ネットで「RDTN」というサイトが立ち上がったのを目にした。
震災発生の翌週、2011年3月19日。伊藤はシンガポールにいた。
日本地図のあちこちに、目印が表示してあり、それをクリックすると、マンガの吹き出しのように放射線量が表示される――。
「RDTN」は、文部科学省や線量計の所有者たちによって公開されていた様々な線量データを、まとめて日本地図の上に表示する「放射線地図」だ。
その発信元は、福島第一原発から7576キロ離れた米西海岸のオレゴン州ポートランドだった。
原発事故は米国でも混乱を引き起こす。線量計やガスマスクは品切れに。「放射性物質は数日で西海岸に到達」と伝えるメディアもあった。
「情報の空白が、不安をあおる」
ポートランドのウェブデザイン会社「アンコークト・スタジオ」最高経営責任者のマルセリーノ・アルバレス(35)は、放射線量のデータを集めるページを思い立つ。
「何が起きているのかをデータで伝えられないか」
スタッフを集め、わずか3日間の突貫作業で公開にこぎつけたのが「RDTN」だった。
名前は「レディエーション(放射線)」からつけた。
立ち上がったその日のうちに、「RDTN」は米国有数の人気ブログ「ボインボイン」で紹介された。
「これなら、各地の状況がどうなっているか、誰でも一目でわかる」
書いたのはショーン・ボナー(39)。伊藤の友人でロサンゼルス在住の起業家、ジャーナリストだ。
ロサンゼルスでは1994年に大地震が起き、南東約100キロにはサンオノフレ原発もあった。
事故はひとごとではなかった。
ロサンゼルスのボナー。シンガポールにいた伊藤。そして、東京在住のオランダ人エンジニア、ピーテル・フランケン(47)。
電子メールでつながる3人の関心は、一向に明らかにならない放射能汚染の実態と、それを明らかにするための線量計だった。
「RDTN」は、まさにそのためのサイトだ。
伊藤は早速、アルバレスに連絡をとった。この時から「RDTN」がネット上の活動拠点になる。
ここに様々な人々が集まってくる。「線量計の専門家」や「ビル・ゲイツの後継者」だ。(平和博)